わけあって、久しぶりにこちらで更新しましたー。
これまでの旅行記はこちらにあります。
「Waltz for CONSA」
2017年1月3日
カンボジア滞在も残りはこの日一日となり、夜の便で日本に帰ります。
楽しかった旅の最後に行ったところは、とても暗く重い気持ちになる場所でした。
でもこの国に来たのなら、避けては通れない場所です。
正直な話、いまでも自分の心の底に暗い影を落としていて、ブログに書くのもエネルギーが要るけれど、
でもやっぱり行って良かったと思う。
最初におことわりしておきますが、ここから先はポル・ポト政権下で起きた大量虐殺について
書いています。ソフトに書いてるけど、読むのがしんどい方はやめといた方がいいかもです。
そして、長いです。ということで今回はたたみますね。
と、その前にホテルで朝食を取った後、近くのお店でお土産のシルクを買う。
カンボジアのシルク製品は伝統工芸品で、とても上質なのだそう。
そのシルク製品を扱っているお店に連れてってもらい、自分や家族にストールを買いました。
明るい色を選んだので、春になってから使うのが楽しみ。
こんな感じでこの旅の最終日はお土産にウキウキしたり、気持ちが沈んだり、
逆に笑えるような出来事があったり、おいしいものを食べたりで、
感情の浮き沈みが激しい一日でした。
移動中にあった元気寿司
お土産を買ったあと車に乗り込み、キリングフィールドを目指します。
ポル・ポト政権下で大量に虐殺された人の処刑場です。
この場所もさ「虐殺センター」って名前なんだよね。虐殺にセンターって付けるとかさ…。
中に入ると、日本語の説明を聞けるヘッドフォンを貸してくれて、
ポイントごとにどういう場所かを聞くことができます。
この敷地内にはほぼ建物はありません。
ここに連れてこられて一旦入れられた小屋があったと思われる場所、
ここで処刑されたと思われる大きな穴、など。
もっと残酷な場所があるけれど、私にはとても文字にすることはできません。
説明を聞きながら見て回っていると、虐殺センターって名前を付けたのも
ある意味ピッタリだなと思ってしまう。人を機械的に殺していく場所だもの。
一応上っ面の裁判やって、罪をでっち上げて死刑の判決を出す。
殺し方だって、お金がなくて銃が買えないからって農機具などで殺す。
それらがすべて機械的に行われる。
人間じゃないよね。だけど、拒否したら自分が殺されるから。
聞いているヘッドフォンでは、わずかに生き残った人の証言が流れます。
男性や女性の声を聞くと、私の頭にはこの旅で出会った人たちの笑顔が浮かんできた。
あんなにいい人たちがもしかこんな目に遭ったらと思うと、胸がおしつぶされそうになりました。
もしかしたら自分の親が殺された人もいたかもしれないんだって思った。
この塔は慰霊塔です。
ここで殺された、数え切れないほどの人の頭蓋骨が積み重なっています。
そしてこのような悲惨な場所は、カンボジアはまだ他に何カ所もあるらしい。
お昼になったのでプノンペン市内に戻り、ランチを取ることに。
この日は普通のカフェに入ってオープンサンドなどを食べたんだけど、これがまたおいしくてねw
おいしいものを食べて何となく気分も上がったところで、ここでグループ分け。
私ら2人はトゥール・スレン博物館へ行き、他の人たちはショッピングです。
他の人たちは前に来た時に一度トゥール・スレンに行ってるからね。
先生がトゥクトゥクを手配してくれて、ここにきて初めて2人だけで行動することにw
屋台とか人とかバイクとかごっちゃごちゃのところをむりくり走るw
トゥール・スレン博物館とは強制収容所だったところで、ここに連れてこられて拷問を受け、
そして最終的にさっき行ったキリングフィールドに送られるという場所です。
そんなところに行くのでまた気分もずしーんとなっている中で到着。
するとトゥクトゥクの運ちゃんが何か観光案内みたいなプレートを出してきて、
英語で「ここを見たあとキリングフィールドに行かねぇか」と言っている様子。
要するに営業ですwでも私たちは午前中に見てきたので、何回も伝えようとしてるんだけど、
全然伝わらなくて、向こうも「え、だから行くだろ?」みたいな感じでw
こっちも「だからもう行って来たっつってんだろ!www」ってなって、やっと伝わったらしいw
そんでこの後日本に帰るって言ったら「じゃあトゥクトゥクで送ってってやる」みたいに言われて、
それも断るのに苦労したw
ここも日本語の説明を聞けるヘッドフォンを貸してくれます。
…ああそういえば、入場料を大人2人分払ったらなぜかいくらか返って来て、
うちの人に「どうしたの?間違ってた?」って聞いたら「君が子ども料金だと思われたらしいよ」
とか言われたw外人の見る目はおかしい、絶対に。
この場所はもともと高校だったそうです。
中庭があって、周りを囲むように校舎が3棟ほど建っています。
パッと見では本当に普通の学校。そこの教室一つ一つに、拷問のために床に固定されているベッド、
教室の中を細かく仕切りで区切ってタコ部屋のようにしているところ、
中庭にある、体育に使う器具を拷問のための道具にしているところ、そういうものが置いてあります。
ポル・ポトが率いるクメールルージュが政権を握るまでの経緯はごっちゃごちゃすぎて省きますが、
それまでベトナム戦争のあおりでアメリカから空爆を受けまくってたカンボジアで、
何だかんだの内戦のすえにクメールルージュが政権を握り、
カンボジア国民は「これでやっと空爆から開放される」と喜んだのだそう。しかしそれもつかの間、
ポル・ポトが掲げる「原始共産主義」によって都市部の人々はみんな農村に強制的に追いやられます。
原始共産主義っていうのは、みんなで農業やってればそこには階級もないしみんな平等だし平和じゃね?みたいな思想。
だから知識階級の弁護士、学者、医者、教師はすぐ収容所→処刑場行き。
それまで外国に住んでいて、クメールルージュが政権を握ったと知って母国のために貢献しようと、
志を高くして帰国してきた、高い学問を持った人たちもすべて殺されたそうです。
挙げ句の果てには、眼鏡をかけた人(学を持ってそうだから)、手がきれいな人(知識層とみなされた)
そういう人も殺されました。
クメールルージュの中で一番えらいのは子どもです。資本主義に毒されていなくてピュアだから。
子どもが医者やったりして人がバッタバタ死んだり、収容所でも子どもみたいのが拷問してるの。
もうアホだろ。
カンボジアに滞在している間、
「そういえば今までおじいちゃんとかおばあちゃんってあんまり見ないよね…」
って思ったんだけど、この時代に200万人以上の人が殺されているので、そういうことなんだと思う。
そしてこれだけたくさんの人を殺したポル・ポトは政権を奪われた後で山に逃げ隠れ、
他の指導者たちも裁判にかけられはしたけど、誰ひとりとして死刑判決は受けてないのです。
「ハァァすごいとこ来ちゃったな…ハードだったな」って思いながら、
さっきの運ちゃんが待っててくれてるトゥクトゥク乗り場に行ったら、
「よぉ!」みたいな感じで出迎えてくれたから何か笑っちゃったw
そして帰りも交通量多いとこをグイグイと進んで行く運ちゃん。
でも安全運転だったし、カーブの曲がり方もすごく体入れるのうまかったし(サッカー用語的なw)、
いい運ちゃんだったよ。
そしてプノンペンのオリンピックスタジアムが近くにあって、中に入れなくても通ってみたかったけど、
時間なくて断念した。見てみたかったなー。
無題
無題
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